インターネット・コミュニケーション論 第3回(4月22日)


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1. きょうの目的

前回(4月15日)の授業で説明したネット社会におけるアイデンティティの問題について,CMC(Computer-Mediated Communication)というコミュニケーション形式(形態)がわたしたちのアイデンティティ形成にどうかかわってくるのかを,CMCにおける「名乗り」の継続性をもとにひきつづき考えていきましょう.

授業の後半ではあるアイデンティティをもった「わたし」たちが集い,コミュニケーションを交わし合うことにより形成される「コミュニティ」,いわゆる「オンライン・コミュニティ」について説明します.

2. CMCにおけるアイデンティティ問題(そのあり方を考える)

2-1. CMCにおける「名乗り」と継続性

前回の授業では「名乗り」方の3つの基本型(実名・顕名・匿名)にもとづく6つのパターンについて説明しました(→第2回の2-3. )ここではそれらに加え,名乗り(名乗り方)に継続性があるのかどうかという論点を示したいと思います.

まずここでの前提として,CMCにおいて顕名でコミュニケートする場合でも同じハンドルネーム(ニックネーム)で継続すれば,そこに「わたし」を見ることができるだろう,と述べておきます.さらにここでの「わたし」となるアイデンティティを「オンライン人格」と呼ぶことにしましょう.粉川一郎によるとCMCにおけるオンライン人格は,3つのパターンに分類されるとしています. 1)

  1. 同一人格であることをシステム側が担保する
  2. 同一人格であることを発言者がアピールする
  3. 同一人格であることを発言者もシステムも関与しない

ここで重要と言えるのは,CMCの主体としての「わたし」がオンライン人格を備えているかどうかは,主体の意志とは関係がないということです.つまりわたしたちが無意識であっても,同一の顕名でCMCを継続していけば他者の目からは,そこにひとつのオンライン人格として,アイデンティティが存在すると判断される,ということなのです(ただし3. のパータンは状況が少し異なり,そこにオンライン人格の存在を把握することは困難です).

2-2. CMCにおける「わたし」とは何なのか

1980年代後半からのCMCの歴史において,わたしたちのコミュニケーションの場であったパソコン通信や,1990年台中期から展開され始めた初期のインターネット空間に至るまで, 2)わたしたちはオンライン上のアイデンティティとオフライン上(現実世界)のそれとが連続していることを前提にCMCという社会的行為を行っていたと考えてよいでしょう. 3) その後,2000年台中期以降,ブログ(ウェブログ)の流行や,Web2.0の登場(ネットのCGM/UGC化)とソーシャルメディアの台頭まで視野を拡大するとCMCにおける「わたし」=アイデンティティを考えるフレームがいくつか浮かび上がってきます.

  1. アイデンティティが主に顕名を通じて形成され,それはオン/オフ双方に連続しつつ区別されるもの(オンライン人格)として存在する
  2. 匿名性のもとに他者とのCMCを継続しているが,そこにアイデンティティは形成されない(徹底した「わたし」の排除
  3. オンラインでは顕名を名乗り,場合により実名を名乗ることもあるが,いずれにせよオフラインでの実名とほぼ確実にリンクしたかたちでCMCを継続するため,アイデンティティにとってオン/オフの区別は意味を持たなくなってくる

上記のフレームに具体的なイメージを割り当てるとすれば,1. はパソコン通信やネット初期の掲示板や「ホームページ」の文化に,2. は「2ちゃんねる」に代表されるような匿名掲示板におけるCMCや集合行動に 4)3. はmixiやFacebook,LINEなどのSNS(ソーシャルメディア)でのCMCに,それぞれ当てはめて考えることができるでしょう.

前回からここまでの説明で,CMCにおける「わたし」=アイデンティティのあり方について考えることができました.次の章では,このような「わたし」たちが集合して作り上げる「コミュニティ」について考えていきましょう.

3. CMCにおけるコミュニティ

3-1. 「コミュニティ」とは何か

「コミュニティ」について,それはわたしたちが何らかの関係性にもとづいてコミュニケートする場所である,とひとまず考えます.アイデンティティと同様にコミュニティも,他のもの(他のコミュニティ)と区別されうるようなまとまりがなくてはなりません.このまとまりを社会学では共同性地域性という2つの指標の有無とその内容で把握しようとします.

共同性
同一のコミュニティに所属しているという感覚/所属意識のこと
地域性
自分たちが所属するコミュニティが特定の地域(地域社会)と紐付けられている,という認識

CMCにおけるコミュニティのあり方について,どう考えるべきか.先に補助線を引いておきましょう.上に示したコミュニティを把握する指標のうち,共同性についてはネット利用者の増大,ネット・メディアのコモディティ化(日用品化)にともない,その内容を変化させつつも,共同性そのものは存在している,と言えます.

もうひとつの指標である地域性については少し複雑になってきます.パソコン通信の時代や初期のネット空間では,地域性を明確に意識したコミュニティの形成を目指したケースが多くあり,この動きは現在のネットでも見受けられるものです.しかし(後述するように)匿名掲示板やブログなどのネット空間では地域性を軽視した,あるいはそれを無視/排除したコミュニティの形成が行われたケースもありました.その一方で,ソーシャルメディアの中には地域性の存在を明らかにアピールするものもあるため,CMCにおいて地域性の存在を一概には否定できない状況となっています.

3-2. オンライン・コミュニティの登場と変容

ここではCMCにおけるコミュニティを「オンライン・コミュニティ」と名付けることにしますが,その名称はさまざまに変化してきました. 5)その名称は何であれオンライン・コミュニティは初期のCMC空間であるパソコン通信の登場とともに登場してきたと言われています. 6)

登場してからしばらくの間,オンライン・コミュニティを捉えるフレームは以下のようなものでした. 7)

  1. 相互に共通した関心事を持っている/帰属意識を共有している共同作業を行っている
  2. 1. にかかわるコミュニケーションが展開される空間が必ずしも地域社会とリンクしているとは限らない

オンライン・コミュニティ上でのコミュニケーションは当然CMCでありますから,上記の1. はCMCにおける共同性の現れであり,2. は地域性の軽視(あるい無視)として捉えることができるでしょう.するとオンライン・コミュニティのあり方が3-1. での述べた(社会学でいうところの)コミュニティの定義からズレてしまうことがわかります.このズレ(というか混乱)に対しては電子ネットワーク 8)というメディアのもつ特性および(社会学における)コミュニティ概念のゆらぎについて考えることでひとまずの回答を与えておきましょう.

従来,わたしたちのコミュニケーションを社会における集合行動として捉えるなら,そのためには一定の広がりやまとまりをもつ物理的空間が必要です. 9)だからこそわたしたちのコミュニケーション空間がある地域性をもったコミュニティとして立ち現れてくるのです.

しかしパソコン通信やインターネットといった電子ネットワークはメディアがもつ特性(→第2回の2-2.)により,このような物理的空間を必要としません.言い換えるなら,わたしたちのコミュニケーション空間は電子ネットワークの中に,まさに電子化された形で用意されているのです. 10)したがってオンライン・コミュニティには地域性が必要でないことが言えるわけです. 11)

ここまでの説明では(社会学での)コミュニティの定義をふまえていましたが,この定義も実はゆらぎを抱えていることがわかっています.コミュニティの定義に関する研究によると, 12)コミュニティの定義が研究(者)によって差異がみられ,全てに共通する要素は個々人の集合である,ということだけでした.ただし多くの定義においていわゆる地域性と共同性が要素として共通していたため,現代のわたしたちもコミュニティの定義としてこれらの要素を挙げるのです.

ここまでの説明をふまえれば,オンライン・コミュニティは「コミュニティ」ではないのか,という問いに対しては「当時は確かに「コミュニティ」であった」と答えることができそうです.そもそもコミュニティ自体が共同性のみでも成り立つがことが言えそうですし(少々強引ですが),オンライン・コミュニティに地域性がみられないとしても,CMCの空間として他の空間とは区別されうる点において,CMC空間に地域性「のようなもの」が存在すると言えるわけですから,オンライン・コミュニティにも共同性および地域性 13)がみられることをもって(社会学での)「コミュニティ」と呼んで差し支えがない,ということになります.

いま「当時は」と述べましたが,それでは現在では違うのか,オンライン・コミュニティは存在しないのか.この疑問については次の3-3. で考えてみましょう.

3-3. コミュニティからクラスタへ

先に結論から述べます.現在のインターネット空間では(Web上では)かつての「オンライン・コミュニティ」は存在しておらず(少なくとも一般的ではない),わたしたちがCMCを通じて形成するもの(=コミュニケーションのまとまり)は「クラスタ」であると言えます.

クラスタは社会学でも数理社会学や社会ネットワーク論といった研究領域でよく用いられる概念です.ここではわたしたちの「つながり(関係性)」がネットワークとしてひとまとまりになったもの(ネットワークとして可視化(見える化)されたもの)と考えておきましょう.

現在のネットでは(かつてのオンライン・コミュニティで見られた)共同性や地域性(ないしは地域性のようなもの)が見当たらないように思えます.「つながり」自体はなくなったわけではないので少なくとも共同性は存在しているように思えるのですが,それも一時的,瞬間的なものであり継続性が低いのです.また継続性が低いためCMCの主体である「わたし」(のアイデンティティ)が見えづらくなっているとも言えます. 14)

したがって,クラスタのように一時的な「つながり」さえ維持できればよく,いつでも「つながり」替える,「つながり」直すことが非常に簡単になってきています.またCMCの空間が非常に多様化しているため,同じ興味・関心にもとづいた「つながり」を同時に,複数のCMC空間でネットワーク化することができるのです.もはやかつてのオンライン・コミュニティにようにCMC空間としてのまとまりや他と区別することは意味を持たなくなってきているのです.

これからはオンライン・コミュニティではなく「クラスタ」がネット上のわたしたちのまとまりを的確に表現する言葉(概念)として,もっぱら使われていくのだろうと考えられます.

この「オンライン・コミュニティ」から「クラスタ」へ,というCMC空間の変容については別の回に具体例を多く上げながら再度説明する予定です.

4. まとめ

  1. CMCでは(顕名であっても)継続性を持って名乗ることで,そこにアイデンティティを作り上げることができる
  2. 電子化されたCMC空間であっても「わたし」たちの集合体であるオンライン・コミュニティが形成できる(できていた)
  3. 現在のネットでは「クラスタ」という一時的な「つながり」のまとまりが主流である

参考文献

  • Hillery, G.A.Jr (1955) Definitions of community: Area of agreement. Rural Sociology, 20.
  • 川上善郎・川浦康至・池田謙一・古川良治(1993)『電子ネットワーキングの社会心理』誠信書房
  • ハワード・ラインゴールド(会津泉訳)(1995)『バーチャル・コミュニティ』三田出版会
  • 加藤晴明(2001)「コンピュータ・コミュニケーションのメディア文化」『メディア文化の社会学』福村出版
  • 矢田部圭佑(2012)「私としての私」矢田部・山下玲子編『アイデンティティと社会心理』北樹出版
  • 粉川一郎(2012)「ネット空間の中の私たち」矢田部・山下編『アイデンティティと社会心理』北樹出版
  • 粉川一郎(2013)「ネットコミュニティのプロデュース」中橋雄・松本恭幸編『メディアプロデュースの世界』北樹出版

[注]

  1. 粉川(2012)p.124
  2. 「2ちゃんねる」が登場し,その利用者数を急速に拡大し始めた2000年台初期まで,としておきます.
  3. 粉川(2012)p.125
  4. たとえば「電車男」を想起してみてください.
  5. バーチャル・コミュニティや電子コミュニティと読んだり,少し漠然とメディア・コミュニティと呼んだりしてきました.
  6. パソコン通信でのオンライン・コミュニティについて本格的に議論した文献としてはH. ラインゴールドの『バーチャル・コミュニティ』や川浦康至らの『電子ネットワーキングの社会心理』があります.
  7. 古川(1993)p.106-107
  8. 過去のパソコン通信であれ,現在のインターネットであれ,電子化されている情報機器がネットワークで相互に接続されている電子ネットワークである,と言えます.
  9. 例えば公園や広場,会議室やカフェといった場所が想定されるでしょう.さらにそのような場所を複数含むものとして地域社会を想定しても構いません.
  10. 公園やカフェで他者とコミュニケートしなくとも,電子掲示板やWeb上でコミュニケーションを交わし合うことができますよね.
  11. 古川良治によれば,コミュニティにおける地域性の必然性が「現在ほどさまざまなメディアが存在しなかった時期に」求められていた,と述べています(池田ほか 1993, p.109).
  12. ヒラリー(1955)を参照のこと.
  13. 地域性のようなもの,ですから代替的機能を果たしていると言えます.
  14. その最たるものが「2ちゃんねる」でのCMCだと言えます.

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