有田亘・松井広志編著『いろいろあるコミュニケーションの社会学』所収の「LINEをやめられない私たち」(第7章)を読んだのですが、ちょっとした驚きがありました。
— うっちー (@ucdktr2016) 2018年8月14日
本章ではLINE依存というよりオンラインでの「つながり依存」について解説する内容なのですが、依存の原因を若者の心性とインターネットの「アーキテクチャ」の2つに求めています。こういったテーマを扱った議論では若者の心性に原因を求めたものが多いと考えていました。
— うっちー (@ucdktr2016) 2018年8月14日
しかし本章ではそれ(若者の心性)に加え、インターネット(LINEというアプリケーション)のアーキテクチャのあり方も原因のひとつとして挙げているのです。ワタシの管見では社会学のテキスト(つまり教科書レベルの平易な内容であるはず)においてアーキテクチャを議論の遡上に挙げたのは初めてです。
— うっちー (@ucdktr2016) 2018年8月14日
本章の最後に「私たちが現代のネット社会をより生きやすくするためには、こうしたインターネットの技術やアーキテクチャ、さらにはそのバックボーンにある設計思想そのものを批判的に検討していく必要があるでしょう」と記述されています。
— うっちー (@ucdktr2016) 2018年8月14日
これにはワタシも同意しますが、現状の社会学教育でインターネットを構成する技術や各種Webサービスやアプリケーションのアーキテクチャまでをカバーする授業(もちろんそれらの背景にある設計思想も含めて)はあまり開講されていないのではないでしょうか。
— うっちー (@ucdktr2016) 2018年8月14日
もちろん社会学の、メディア研究に関する授業にてインターネットを取り上げる際にはその前身であるARPAネットからの歴史を簡単に述べ、その背景にある「カリフォルニアン・イデオロギー」についても解説しているわけですが、インターネットが社会に幅広く普及しだした1990年代中盤以降は不十分だと。
— うっちー (@ucdktr2016) 2018年8月14日
そう考えています。90年年代末以降、とくに「アーキテクチャ」という言葉が人口に膾炙し出した2000年代以降のWebの発展史をふまえ、よりWebサービスやアプリケーションの位相にまで落とし込んだアーキテクチャの議論が必要だと、そしてそれを授業内容に反映していければと考えています。(終わり)
— うっちー (@ucdktr2016) 2018年8月14日